Monday, January 5, 2026

自作孽、作孽

 

最近携帯で見ている中国のドラマの中で<自作孽>というのが出てきた。<孽>の字は時々出てくるが, 日本語ではなじみがないため記憶になかなか残らない。

 <孽>は<niè>と発音する。

 Baike-baidu

"

自作孽

 俗语

《自作孽,不可活》是汉语俗语,指因自身作恶导致灾祸而无法逃脱毁灭结局,强调恶行与报应间的必然关联。该语与 “天作孽,犹可违” 形成对比,突出人为恶因的不可逆性
该俗语本质体现 “善有善报,恶有恶报” 的因果逻辑,既包含对错误行为的警示,也蕴含规避恶果需 “修身养性” 的处世哲学云谷禅师在阐释《了凡四训》时,通过袁了凡改命事例揭示 “命由我作,福自己求” 的转化可能,深化了其哲理内涵

解释

作孽,造孽,做坏事。自己做坏事招来灾祸,无法避免一死的下场。
 
ーーーーー 


"天作孽,犹可违;自作孽,不可活" 是源自《尚书·太甲中》的警示俗语。天降的灾害还可以躲避,自作的罪孽,逃也逃不了。
通过自然灾祸与人为祸患的对比,阐明人类对自身行为后果的不可逆转性。该句出自商朝贤相伊尹对太甲的训诫文书
 
含义解析 
 
本句采用对比手法阐明两种祸患的不同后果:
  • 天灾:自然灾害尚可通过人力规避或补救
  • 人祸:自我引发的灾祸则无法逃脱,强调主观能动性对命运的主导作用
句式通过"犹可违"与"不可活"的强烈对比,建立中国古代"祸福自招"的朴素认知体系,成为个人自省的重要警示
 

対句になっていて

天作孽,犹可违
自作孽,不可活

 <孽 niè>は後でもっと詳しく検討するが ” 灾祸 ” (わざわい)、 “ 罪恶 ” (つみ、わるいこと、してはいけないこと)。

违 >は<違 (ちが) う>の<違>。

Baike-baidu

违(wéi),汉语一级字,简体部首为辶,总笔画7画,繁体部首为辵,总笔画11画。本义为离开、背离,基本含义包括背弃、违反、避让等。
 
したがって、 
 
<天作孽,犹可违>は 

天が罪を犯 (おか) してもしても その悪い結果からは逃れられる。 

<自作孽,不可活>は

人が自らした罪は(その悪い結果からは逃れられず)、死ぬことになる。

上述の<作孽,造孽,做坏事>は<悪いことをする>というよりは<(因果応報として) 悪いことを招くようなことをする>の意。

意訳しもう少し日本語らしくすると、原文の意味からはズレるが

天がもたらすわざわいは避けることができる。
自ら招くわざわいは避けることができない。


 ”源自《尚书·太甲中》” とあるので相当古いアフォリズムだ。

中国最早的历史文献汇编, 共58篇,儒家五经之一。《尚书》最早出自上古史官之手,流传至春秋时仅剩少量篇章。孔子曾搜集整理《尚书》作教材用。

 

中国でもそうだと思うが、普通<天命>には逆らえないものだが、このアフォリズムは異なるところがおもしろい。<天>を<人 (他人) >に変えてみると

人がもたらすわざわいは避けることができる。
自ら招くわざわいは避けることができない。

となるが、これではインパクトが弱まる。

 

<孽>自体はややこしい。

Baike-baidu

孽(niè)本义指宗法制度中家庭旁支所生的庶子,字形从“子”且声符为“辥” 。原指血缘关系的非嫡系分支,后语义扩展至自然现象,如树木旁生的新芽(同“櫱”),并借喻社会关系中的非主流身份。
该字因庶子在古代被视为次要或非正统,逐渐衍生出 “灾祸” “罪恶” 等负面含义,如 “孽障” “造孽” 等词皆含道德贬义。在佛教术语中,“孽障”亦指修行障碍,体现其语义向宗教伦理的延伸。
篆书以“孼”为正体,后俗写作“孽”,《康熙字典》引《正字通》标注为“俗孼字”。
 
 
上で
 
<孽>の字は時々出てくるが, 日本語ではなじみがない 
 
と書いたが、ネット調べてみると 

読み 音読み ゲツ
訓読み ひこばえ
わきばら
わざわ()
 
 音読み<ゲツ>を知っている人はまずいないだろう。<ニエ>と<ゲツ>では大違いだ。
 
<ひこばえ>は樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと。 
<わきばら>は妾の子。
(わざわい) い>は普通<災い>だ。 
 
<作孽>は中国のドラマの中ではしばしばでてくる。日本語では<疫病神 (やくびょうがみ>といういうのがある。



sptt

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